英語なんて
いつまで経っても、
英語が喋れるようになりません。
いや、喋るだけじゃなくて、読むのも書くのもひたすら時間がかかります。
唯一、確信を持って伸びたといえるのは、聴くことくらい。......といっても、日本語みたいになにも意識していなくても聴きとれるレベルには到底ならない。
限界を感じています。
こんなにも伸びないものか。
正直いって、こっちに来る前とそんなに変わってない気もします。
ほんとうになにをやっても中途半端。
というか、なにをもって「英語が喋れるようになった」といえるのでしょうか。
パン屋でパンを注文できたら?
道端で知らないおっちゃんとの他愛もないお喋りができるようになったら?
ビジネスで商談とかできるようになったら?
教授と同等に専門用語とか使いこなして討論できるようになったら?
「英語が喋れるようになった」のラベル、広すぎませんか???
私は大学生のころ、アメリカに半年間語学留学をしていました。
まわりは他の国から来た、私みたいな語学留学生たちです。このとき、私は、調子にのりにのりまくってました。なぜならほかの留学生よりも英語が「話せた」から。
いま思い返してみると、
とんでもない思い違い。
あれは英語が「話せた」のではなくて、単に「コミュニケーションがとれた」だけの状態。
「言語を使いこなす」ことと、「コミュニケーションをとる」ことの間には、大きな違いがあると思います。
流暢に言語を使いこなしたって、人との交流をうまくもてない人もいるし、逆に文章になってないような言葉を話しても、コミュニケーションをとれる人もいる。
つまり、コミュニケーションをとることだけを目標にするならば、英語なんて喋れなくたっていいと思うのです。
ただ、それだけでいいという話ではなく。
コミュニケーションがとれるというだけでは、乗り越えられないシチュエーションに遭遇したりするわけです。
たとえば上にあげたように、ビジネス用語や学術的な専門用語が飛び交っている世界に踏み込んだら、、、語学力なしのコミュニケーション能力はなんの役にも立ちゃしません。
コミュニケーションをとるだけなら、適当な単語を数個並べて、指差して、微笑んで、動作や表情で伝えられてしまいます。
しかし、もし相手になにかを詳しく説明する、説得してもらえるまで話す、となれば、正確な英語力がないとなんにも伝えることはできません。
大学院で勉強を始めて気付いたことは、
いままで自分ができると思っていた英語は、本当の語学力ではなかったし、本当の語学力を身につけるのには、並々ならぬ努力がいるということ。
コミュニケーション能力は、海外で生活する上での必要最低限のスキルですが、海外で日常生活以上の活動に関わりたいと思うなら、ある程度以上の語学力が求められます。
英語は勝手にぐんぐん伸びていくと思っていた私は、大間違い。
いまも、ずっと英語に苦しめられています。
もう英語から逃げたい!!!!!!!!!!